ぼくは感想文が書けない

立川シネマシティで『映画「聲の形」 inner silence 極音上映』(音声をパイロット版に差し替え、セリフ無し・効果音無しで上映したもの)を観た帰りに、とにかく感じたことを猛烈に誰かに伝えたくて、感想をしたためることにした。 これはまさしく「作品の感想文」を書くことだな―と頭のなかをよぎった瞬間、ひどく弱ってしまった。というのも、私は「読書感想文」みたいな類が全く書けたことがないからだ。

とはいえ、散りばめられた思いは筋道の通った文にしないと人に伝わらないと思っているので、聲の形の「感想文」は絶対完成させたい。感想文、ねぇ…

思い返すと、何人かにブログの文章を「面白い」とか「アツく書かれているから読んでて楽しい」とか褒めて頂いた事があった。 なんだ、ある程度の文章なら書けるらしいじゃん自分。では、「感想文」と「ブログの文章」は何が違うのだろう。同じ事なのに、前者と後者ではやる気が雲泥の差だ。

昔を思い出して考えてみる。

小学生の回想

担任の先生が、何かの本の感想文―いわゆる読書感想文―を書いてきましょうと言ったので、原稿用紙を4枚ほど持って帰った。4枚書ききる気はさらさらないが。 家に帰ってとりあえず用紙を広げる。本を置く。まあすでに読んだことのある本だから、内容はわかる。

そういえば先生は言っていた。「あらすじを書きすぎてはいけない、自分の考えを書きなさい」と。じゃあ自分の考えを書いてみようか。

……………

なんだこれは。「すごいとおもいました」の羅列じゃないか。おまけになぜ「すごい」と思ったのかの背景がわからないから、この本を読んだことがない人だとちんぷんかんぷんじゃないか?

やっぱりあらすじは必要だ。書き直そう。

……………

ある背景を書く…それに至る経緯も書かないと伝わらない…加えてそれのいきさつもまた書いて…と納得が行くまで続けた結果、だいたい全部あらすじになってしまった。 先生に言わせると「あらすじで埋めるような文章は意味がない、思いや考えを伝えるのが重要」とのことなので、やっぱこれもだめ。

「考え」と「あらすじ」の二律背反に思考がループしてしまっている。

……………

…自分の考えを無理やり拡張しつつ何とかこぎつけたぞ。かろうじて800文字。母親に読んでもらおう。

母親「は〜?これあんたが将来どうしたいかの文章になっとるが!読書感想文になっとらんが!」

え?そんな事書いたっけ自分?あれれれ?


結局、この感想文は完成したのか否か記憶に残っていない。嫌な思い出は残りにくいというから、まあそういうことだろう。 小学生時代の作文に関する記憶はこの程度だが、「作文を書くこと」に対するスタンスに転機が訪れたのはハッキリ憶えている。それは中学生の時だ。

中学生の回想

中学校に上がろうが、感想文は待っていた。選択の余地があったので、辛うじて「読書感想文」は避けてしのいでいたものの文章を書かされることに変わりはない。 しかし、今回の先生は言うことが違っていた。

「思ったことを書けばいいんよ」

あとは「始まりと本文と終わり、この3つの段落に分けなさい」と言うぐらい。質問すればアイデアをくれるが、基本それ以上言わなかった。 なんだ、気が楽だ。前提条件として「これはだめ」みたいなのが無いから浮かんだことをそれっぽく書き下せばいい。

先生に提出し、後日赤ペンがついて返ってきた。指摘されたのは「文章量が少ない」「話のつじつまや展開がよくわからないのでこう組み合わせよう」みたいな致命的な箇所の修正ぐらいだった。


文章一般を書くことに対する抵抗が減ったのは紛れもなくこの頃からだ。 こうやって思い出してみると、弊ブログの文章スタイルもここから来ている気がする。

何が違うんだろう

小学校での文章と中学校でのそれの違いがわかればあとはルールに落とし込むだけだ。

もうすでにこれらの違いはハッキリしている。「起こったことをそのままの順番とそのままの言葉で書き、余計な記述をしない」という点だ。自分の思いを他人に伝える、という行為の極地だ。

あと、これには「あらすじを書かない」という違いも結果的に含まれる。その作品を読まない限り、感想を「完全に同じ視点」で分かち合うことは不可能だから、あらすじを使った背景の共有をはなから諦めてしまうということだ。

どう感想文を書いていくか

実は恥ずかしながら、このブログに上げようとして諦めている書きかけの「感想文」はいくつかある。今この文章を書きながらわかったのは、これらが完成していないのは 「起こったこと・思ったことをそのまま書けばいい」という原則を忘れているからなのかもしれない。

わかったことを具体的にロジックに落とし込むと、

  1. 起こったことは、鑑賞対象の時系列のままに書く
  2. 思ったことも、鑑賞対象の時系列のままに書く
  3. それを見たことがない人に伝えようとしない(文章量が爆発するから)
  4. カッコイイ日本語を書こうとしない(読み手の感情を揺らすためだけに、時系列に沿わない文章展開や余計な語が欲しくなってしまい推敲量が爆発するから)

なるほど、わかってきたぞ。これらに疑問を抱いても自分で説明が付けられるようになった。

スッキリした

とりあえず、このルールに従って「聲の形 inner silence」の感想を書くことにしてみる。スッキリしたが、まだ止まってはいけない。

あと最後に、中学校時代の国語の先生、本当にありがとうございます!